今日は、カミさんと一緒に『風立ちぬ』を観てきました。
全て終わった時、劇場の観客達は皆無言。身動きも取れない。
魂、持ってかれた〜って感じ。
私には、全要素がオーダーメイドのような作品でした。
観た人の多くも、それぞれ自分自身の人生と符合していると感じたかも。
カミさんも、自分の感覚と同じものを感じたと言っておりました。
シンプルな構成でありながら、良質な人物の人生を共に生き抜いたような手応え。
澄んだ魂は良いな。自分はダラケ切っていたなぁ。真面目に生きてみようか、と思いました。
みんな何かしら持ち場があるのでしょう。
意義があるとか無いとかではなくて、自分の持ち場を受け入れ、逃げずに、日々懸命にやれることをやっていく…
『風立ちぬ』は、子供がワクワク観るようないつものジブリ作品とは違って、
遠い時代に生きた人々の心を、感受性の豊かな子供や大人が感じ取り、想い味わう…
そんな物語なのでしょうか。
ハリウッド的に解り易い筋立ての『ラピュタ』は、良い映画かもしれませんが、自分の心が求めているものとはちょっと違うなぁと思っていました。
筋立てが駄目駄目だと批判された『ハウル』を観たら、寧ろ心が喜びました。
起承転結とか筋立てなどではなくて、眠っている時にみる夢の感覚だなぁと思いました。
夢は物語的な筋立てが無くても、感情から大道具小道具に至まで、夢の中の自分の心にしっくりいきます。
心の中での真実。とても懐かしく、心が揺さぶられる感覚…
こういう作品は、創り手が自分自身の心の奥底にしっかりと目を向けて、心の闇を深く深く掘り進み、心の叫びが聞こえて来るまで待たねばなりません。
ミヒャエル・エンデの創作法と同種なのではないでしょうか。
作者は産みの苦しみの連続でしょう。
『風立ちぬ』は、そういうタイプの物語じゃないかなと思いました。
飛行機の音や地震の唸りなどは人間の声でしたね。
人の声は凄い。ただの物理的な現象を写し取る効果音を超えて、命や怨念がこもります。
避暑地のホテルの中の情景を観ていたら、昔泊まった逗子の渚ホテルを思い出しました。
調度や雰囲気があんな感じ。エレガントな時代があったのですねぇ
嫁入りするヒロインがあまりにも美しかったので、真似して、しゃかしゃか描いてしまいました。消しゴムも使わず一気呵成に。
木の極細ボディのシャーペンは線が走ります。ペンという道具をペンという道具を介して描いていると言う感じがしません。ペンが手に埋もれて存在を無くし、手で直に描いているような感覚。
お陰で、ヒロインの気持ちを想うことに集中出来ました。
ヒロインは、もちろん生きれるものなら生きたかっただろうけれど、運命に向き合い、幸せを噛みしめることが出来たのだろうなぁ…
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イラスト館たま、・・・
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